現実主義、対米外交、共に闘った妻・・・退任したラウルの軌跡

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革命当時に撮影された写真のポストカード。ラウル・カストロ(中央)と兄フィデル(左)、チェ・ゲバラ(右)

カストロ兄弟の時代が終わった――。こんな見出しが世界をかけめぐっています。

2008年から18年まで、(実質的には06年から)キューバの国家リーダーを務めたラウル・カストロは、予告どおり、このたび共産党のトップを退任すると発表しました。

ラウルは、兄フィデルの敷いた路線を継承する人

キューバの若者(20代)にラウルの印象を聞くと、そんな答えが返ってきました。

どうしても、カリスマ指導者だった兄フィデルの存在感が強すぎて、兄やその功績を支える役目、というイメージがあります。

そこで、彼ならではの足あとを振り返ってみたいと思います。

①改革におけるリーダーシップ

ソ連を訪ねたこともあり、マルクス主義者を自認していたラウルですが、経済や社会の状況にあわせて、社会主義の規制を緩和する改革を、次々と実行していきました。

08年以降、賃金の上限額を撤廃したり、PCや携帯電話を購入できるようにしたり。

農業や土地の再分配についても「非中央管理化」を進めました。外国人の宿泊施設にキューバ人も滞在できるようになりました。

さらに、国で許可されている自営業の職種を増やしたり、キューバ人の海外渡航に関する規制を緩和したり

政府職員の人員削減を実施するといった痛みを伴うものもありました。

こうした改革を進めたラウルは現実主義で、フィデルはどちらかといえば理想主義とよくいわれています。

撮影:BMC Life

②オバマ米大統領がキューバを訪れた

長い間冷え込んでいた、キューバと米国の関係改善に、希望の光が差したのは13年、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラの葬儀に出席したラウルと、オバマ米大統領が握手をした瞬間だったといわれています。

それから1年以上もかけて、互いに粘り強く交渉を進め、15年に両国の国交回復が実現しました。

16年にハバナで開かれた、ふたりの記者会見ではラウルが米国の要請をぴしゃりとはねつける場面もありました。

ラウルが経済制裁の緩和などを求める一方で、オバマ米大統領が「人権問題の解決を」と求めたからです。

米国はダブルスタンダードだ」

そう反論し、キューバは教育や健康、男女平等などの分野で「先進的」だと話すラウルは、抜群の存在感でした。

③妻は男女平等の推進者

ラウルの私生活はどうだったのでしょうか。

プライベートで謎が多く、ファーストレディを伴うこともなかった兄フィデルですが、代わりにラウルの妻、ヴィルマ・エスピンが公式の場に出ることも多かったようです。

ヴィルマはキューバ革命をカストロ兄弟たちとともに戦い、革命後はキューバ女性連盟の会長として、女性の社会進出を推進しました。今では、キューバでプロフェッショナルとして活躍する女性の数は大幅に増えました

2人の娘であるマリエラ・カストロは、キューバ国立性教育センター(CENESEX)の所長として、同性愛者の権利擁護をはじめ、ジェンダーのマイノリティ(性的少数者)のための活動に取り組んでいます。

ジェンダーの不平等をなくすために尽力する妻や娘とともに、62年間、革命と改革に身をささげてきたラウル。

引退後は、革命発祥の地、自らのふるさとにも近く、07年に亡くなられた妻の出身地でもあるサンティアゴ・デ・クーバに住むとのことです。

首都ハバナからは離れた場所でゆっくりと国の将来を見守っていくことになるのでしょう。

Author Profile

斉藤 真紀子
斉藤 真紀子
キューバ倶楽部編集長、ライター。ニューヨークでサルサのレッスンを受けたのをきっかけに、2000年に初めて訪れたキューバが心のふるさとに。
旅をするたびもっと知りたくなるキューバを訪れ、AERA、東洋経済オンライン、TRANSIT、ラティーナ、カモメの本棚、独立メディア塾ほか多数の媒体で記事を執筆。
2015年にキューバの現地の様子や魅力を伝える「キューバ倶楽部」をスタート、旅の情報交換や勉強会、講演会などのイベントも運営。
★キューバのエッセンスを生活に取り入れる日々をnote(https://note.com/makizoo)に綴る。
★Twitter: @cubaclub98 ★ Instagram: @cubaclub98
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