【インタビュー】2人のエルネストが「見果てぬ夢」をめざした理由~映画監督、阪本順治さん

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チェ・ゲバラ没後50周年を迎え、彼とともに戦った医学生、日系ボリビア人のフレディ前村ウルタードさん(戦士ネームはエルネスト・メディコ)の生き様を描く、映画「エルネスト」が全国で上映されています。監督が伝えたかった思い、そして一筋縄ではいかない、キューバでのロケの現場についてインタビューしました。

映画「エルネスト」の監督、阪本順治さん(撮影 安達康介)

キューバでハードなロケを経験した、映画「エルネスト」の監督、阪本順治さん(撮影 安達康介)

――フレディ・前村さんとの出会いは?

阪本さん:最初は「驚き」でした。日本人のボリビアの日系二世が、ゲバラと闘いをともにして、命を奪われたことを知ったのは4年前。『革命の侍 チェ・ゲバラの下で戦った日経二世フレディ前村の生涯』(翻訳版、長崎出版)という本に出合ったのです。そのときから映画化に興味はあったけれど、大変な作業になるだろうし、条件的にも決していいわけではないから、実現できるという確信があったわけではありませんでした。

日本の映画の流れからいうと、こうした、華やかさのない企画は成立しにくい。それでも、「まだ知られていない、こういう人がいることを知ってほしい」と、キノフィルムズ代表やプロデューサーの椎井(友紀子)さんと話していたら、「やってみよう」という話になりました。

 

――フレディがキューバに留学したのは、革命(1959年)の3年後、激動の時期でしたね。

阪本さん:革命という言葉ひとつでも、とらえ方はいろいろあると思いますが、キューバ革命ははじめ、「共産主義革命」をめざしたわけではなく、親米政権の圧制や搾取から人民を解放するという、「民主革命」のようなもの。そこに身を投じたのは名もなき人たちがほとんど。農民、労働者、都市の人たちと、国民全部を巻き込んだ戦いでした。

フィデルは個人崇拝主義に陥らなかったし、街に肖像画すらない。教育や医療を無料にするという、当初の意識の御旗を、今も持続している。人民による人民のための革命で、志をそのまま、ゆるぎなく押し通したところに、ほかの国の「革命」とはまた違う色彩があります。

 

――そして、フレディも医師になり、祖国に変化を起こしたいと考えるようになります。

阪本さん:ゲバラもそうでしたが、フレディも医師として、ボリビアで医療行為の不平等さが実生活で目に飛び込んでくる。医療を受けられるのは特権階級のみだった。倒さなければいけない政権があっても、その組織が軍を持って、銃を放って圧制にこられたら、こちらは無防備では戦えない。選挙で勝ち取って、という方法では成し得ないので、銃を構える。でも、そのことで、今の人たちにゲバラとテロリストを混同してほしくないのです。

基本的にゲバラたちは職業軍人としか戦わなかった。一般の人たちがいるところに爆弾をしかけるとか、銃を放つといったことはしなかったのです。だから過激派組織、「イスラム国」(IS)と混同してほしくないと思います。

 

――実際にキューバに行かれて、イメージとのギャップはありましたか?

阪本さん:初めてキューバを訪れたのは2014年の6月。のちにアメリカ合衆国と国交回復するなんて、思ってもいませんでした。それからオバマ米大統領がキューバに来て、映画の撮影中には安倍首相も来て、撮影が終わったら、トランプ米大統領になっていた。その間に、アメリカ合衆国からの団体観光客が増え、ホテルの値段もあがり、きれいなレストランやホテルも増えました。

ハリウッド映画がハバナでロケをしたり、シャネルがファッションショーをしたり、いかがなものかと思いました(笑い)。経済困窮のなかで、(そうした利益を生むビジネスを)キューバの人が望むなら仕方がないという思いもありつつ、革命世代の人たちを取材すると、「自分たちの考えを若い人たちに押しつけられない」と言います。マクドナルドやKFCがキューバに進出してほしくはないけれど、「一回は食べてみたい」という若い世代の欲求は仕方がない。そんな声が聞かれました。

 

――そうしたキューバをめぐる変化は映画を撮るうえで、プラス、マイナスありましたか?

阪本さん: アメリカ合衆国とせっかく国交が回復したとき、「反米映画を撮っている僕らは一体?」 という思いはありました(笑い)。そもそも、日本の映画監督がキューバに赴いて、合作映画を撮るというのは相当無茶なことです。時代背景は革命のころから67年まで、いわば時代劇。よその国の時代劇に、自分がふれるのはどうなのだろう。リアリティを追求できるのだろうか。フレディ前村だって日本人の血を継いではいるけれど、言語も環境も違うなかで育った日系人。「自分は日本人だから、日系人の気持ちもわかる」と考えてはいけない。そういう気持ちで臨みました。

プロフィール:(撮影 安達康介)

キューバへ12回渡ったが、「観光はまだ全然できていません」と阪本さん(撮影 安達康介)

――合作を申し出たとき、キューバ側の反応はいかがでしたか?

阪本さん:映画を撮るうえで何の問題もないと言われました。「久しくキューバでこの時代を描いたものがないから、うれしい」と。映画監督へのリスペクトは、日本よりもずっと高い。キューバで画家、音楽家、映画監督など、アーティストの立ち位置がしっかりしている。

 

――キューバのスタッフとの共同作業はいかがでしたか?

阪本さん:キューバのスタッフも、日本人が監督しているとはいえ、自分たちの映画でもあるという思いで取り組んでいました。キューバでも公開されるので、緊張感もある。時代考証も含めて、熱心にカバーしてくれました。

 

――ビザの取得など、予定どおりに進まないことは?

阪本さん:今回、テレビ局と組んで仕事をしましたが、国の機構でもあるので、待つことはなかったです。ただ12回キューバに行って、パスポートにビザがたくさん貼ってあるので、米国の空港でじっくり見られたことがありました。何も言われませんでしたが。

キューバは官僚主義なので、ロケで何をするにも許可がいる。最後のシーンのジャングルなどは、国定公園で、軍とも仕事をしなければいけないときは、ラウル・カストロ国家評議会議長のサインが必要だった。そのころ、オバマ米大統領も来て、安倍首相も訪ねて、さぞかし国のリーダーは忙しかったことでしょう。そのような状況ではハンコはもらえない。

ですから、マンパワーで乗り切りました。キューバの人だって、ふだん、アメ車が壊れれば、部品を作って乗ったりしているでしょう。「モノがないからできない」と言わずに、機材を手づくりにするなどして、状況をくつがえしていく。日本からのスタッフは27人でしたが、キューバのスタッフは100人いたので、その分のマンパワーがありました。

 

――フレディ前村さんを熱演されていた、オダギリジョーさんですが、監督からみて素晴らしいと思われたところは?

阪本さん:彼とは初めて、主役と監督の関係でした。これまで12年一緒にやってきましたが、彼は準主役やわき役だった。彼が主役のときは、無理難題の企画でやるつもりでした。彼だったら全部ハードルを超えてやってくれる。ですから、彼には泥船に一緒に乗ってもらおうと、「船の底には穴が開いているかもしれないけれど、一緒に行ってくれる?」と聞くところから始まりました。そして、想像以上にこたえてくれた。

スペイン語も、ボリビアのベニ州の方言を学び、体重も12キロほど減らし、髪の毛もひげものばして、キューバ入りした。戦闘シーンから入ったのですが、撮影初日に泥と汗にまみれた軍服でひとつめの台詞を放った瞬間、フレディを目撃しているような錯覚に陥りました。それは頼もしかったですね。

 

――4年前の構想から、ゲバラ没後50周年での映画公開となりました。このタイミングに合わせて、撮影は順調でしたか?

阪本さん:今年に間に合わせようという思いはありました。キューバでのロケは、日本人のスタッフにとっては体力的にハードでしたね。暑さ、食べ物、虫刺されなどで5人が病院送りになりました。現地のスタッフは体格が違うからか、大丈夫でした。

世界に知られるチェ・ゲバラやフィデル・カストロが映画には登場します。「似ている」「似ていない」というところでも評価されそうだけれど、キューバの人たちは「メンタリティや思想、意志が伝わるかどうかが大事」と言ってくれた。「そっくりさん」である必要はないと。それは励みになった。結果的に、チェを演じた役者は、ひげをたくわえたら、何の疑いもなくチェとしてみてもらえると思いました。

 

――チェも、フレディも、医者として、家族のもとで幸せに生きる道があったかもしれない。監督はどう思われましたか?

阪本さん:自分には彼らのような根性はない。オダギリくんはこの時代に生きていたら彼らと同じ道を選択したと言い切っていました。僕は自分にないものを感じたので、これをやりたいと思った。もちろん、他者のために戦うということは、自分の命を落とす可能性も十分にあり、それは彼らの脳裏にもある。けれど、戦うという選択肢から逃れることができなかったのは、家族の存在が小さいとは思っていなかったからこそ。家族を含めたうえでの「世界」を変えることを彼らはめざしていた。ふたりとも医師の身分で、「見果てぬ夢」、つまり不可能な理想に向かって突き進んだのは、大切な人たちがいたからこそ。

ですから、観る人によっては、もっと多くの戦闘シーンがあるかと思っていたかもしれませんが、「名もなき医学生」が学生生活を送りながら、どう戦場に向かっていったかというところを丁寧に描こうと思いました。本人は揺るがない思想を持ってはいたけれど、みんなを強引にオルグしたり、閉じた人間関係を送っていたりした特殊な人ではない。スポーツだ、イベントだと、いろいろなところに顔を出して、自分と意見と違う人とも会話を遮断しなかった。あなたと同じような生活をしていたかもしれない、どこにでもいる学生だったのです。

 

◆映画「エルネスト」は10月6日より全国公開 (http://www.ernesto.jp/)

【阪本順治(さかもとじゅんじ)さんプロフィール】(映画「エルネスト」公式サイトより)
1958年生まれ、大阪府出身。
大学在学中より、石井聰亙(現:岳龍)、井筒和幸、川島透といった“邦画ニューウェイブ”の一翼を担う監督たちの現場にスタッフとして参加する。89年、赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビューし、芸術推奨文部大臣新人賞、日本映画監督協会新人賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞ほか数々の映画賞を受賞。満を持して実現した藤山直美主演の『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞や毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞などを受賞、確固たる地位を築き、以降もジャンルを問わず刺激的な作品をコンスタントに撮り続けている。
昨年は斬新なSFコメディ『団地』(16)で藤山直美と16年ぶりに再タッグを組み、第19回上海国際映画祭にて金爵賞最優秀女優賞をもたらした。その他の主な作品は、『KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13) 、『ジョーのあした―辰一郎との20年―』(16)など
★キューバ倶楽部のイベントに阪本順治監督が登壇されたトークの模様も、お伝えいたします!

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斉藤 真紀子
斉藤 真紀子
日本経済新聞米州総局(ニューヨーク)金融記者、朝日新聞出版「AERA English」編集、週刊誌「AERA」専属記者を経てフリー。共著に「お客様はぬいぐるみ」(飛鳥新社)。趣味はラテン音楽&ダンス、カポエイラ(格闘技)
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