【インタビュー】ジョージ渡部さんのキューバ珍道中

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渡部ジョージさん

インタビューから数時間後、話にも熱がこもってきた渡部ジョージさん。

13階の部屋まで階段で上り下り

やっとガソリンスタンドでパンを買って食べたときには、もう25ドルを使っていた。当時は俺、体重が50キロぐらいしかなくて、飯を食わなくても、がまんできた。幸せがあれば、何でもがまんできる男なのよ。

だから、そのまま一番有名なクラブ、カサ・デ・ラ・ムジカをめざして、サルサを踊りに街に繰り出したんだ。クラブで女の人がたくさん話しかけてきたけれど、プロのコールガールなのか、普通の人だかわからなくて、ひとりで踊ってた。

荷物が消えたから、下着もないし、歯ブラシもない。歯だけは磨きたくて、あくる日、10歳ぐらいの男の子に「ここに行けばあるよ」と連れていってもらったところがまた、何も置いてなかった。

ホテルの部屋は13階だったけれど、1日に3回ぐらい停電があって、そのたびにエレベータが止まるから、階段を行ったりきたりしていたんだ。

ハバナで当時、1週間から10日ぐらい、学校で基本的な踊りを身に着けて、それから3ヶ月ぐらいキューバをまわるという観光客が多かった。

自分は10日ぐらい、ダンスだけクラスを取ったんだ。まだサルサを始めて100日ぐらいだったけれど、クロスバディリード(男性がリードして、女性と位置を変える)という基本ステップを披露したら、「なんでそんな難しいことができるの?」とキューバ人が目を丸くしていた。

「あれ?そういう踊りじゃなかったの?」と、こちらもびっくりだったよ。

車が壊れたから一緒に行けない

ハバナのギャラリーで、250ドルで購入した絵
ハバナのギャラリーで、250ドルで購入した絵  

キューバ弁(注:キューバなまりのスペイン語)がわからないから、歌のレッスンは出なかったけれど、60歳ぐらいの女の先生と友だちになった。俺はそのころ40代後半ぐらいだったかな。

キューバ人の友だちも一緒に、「ハバナで一番のサルサクラブに連れていってあげる」というから、ホテルで待っていたけれど、予定の時刻から3時間して、やっと電話で連絡がついたキューバ人の友だち2人とも「車が壊れたから行けない」と言うんだ。

この国で車が壊れるというのは、ほんとうに車のせいなのか、行けないときの言い訳なのか、よくわからなかったけれど。

歌の先生にも電話し続けたけれど、全然つながらない。

ホテルで電話をかけると、つい、電話ボックスにたばこを忘れてしまうので、気が付いて戻ったらたばこがなくなっていて、仕方がないから部屋にたばこをとりにいこうとすると、停電してエレベータがとまっているから階段で上り下りして…というのを何回繰り返したかな。

そうしたらとうとう、歌の先生が、ど派手なメイクで、ホテルのロビーに現れた。娘と息子、その恋人や親戚5~6人引き連れて。2時間ぐらいかけて歩いてきたんだって。

聞けば、1ドル(注)の貯金をおろして、1ドルかけて美容院に行っていて、遅くなったと。「山の裏側にサルサクラブがあるからそこへ行こう」というから、俺はダンスシューズだったのだけど、かまわずそのまま歩いていくことにした。

(注:当時は現在の外国人兌換ペソではなく、外国人は米ドルを使っていた。キューバ人の平均的な月収は、米ドル換算で20ドルぐらい)  

暗がりで寝ながらバスを待つ人たち

あたりは暗くなっていて、街灯もない道中。ときどき、「ん?ここに人がいっぱいいるかな?」と思うときがあって、目をこらしてみると、草むらで寝ている人がいて、ときどき、ざわっと動く。

そのときは、「すごいところに来ちゃった」と思ったよ。最終バスに乗り遅れたのか、バスが来なかったのか、わからなかったけれど、バス停でバスを待っていた人たちが数百人いるみたいだった。

しかも、男女が暗がりで寝ていて安全だなんて、信じがたかった。

そのころ、キューバは恋愛にオープンな国で、「世界でもレイプ犯罪率が一番低い」という記事を読んだことがあったけれど、本当だったみたい。最近、どうなったかわからないけれど。

そうして、山道を5~6人でぞろぞろ歩いていると、途中雨水がたまっているところもあり、ダンスシューズごと膝までうもれて、泥だらけになった。

2時間は歩いたかな。ずぶ濡れだし、疲れるし、やっとたどりついた店は閑散としていた。やけっぱちになりながら、猛烈に踊って、最後、「一緒に歩いて帰ろう」と言い張る先生に、20ドル渡して、くたびれ果てた俺はタクシーで帰らせてもらったよ。

俺はパンが苦手だし、豆が嫌い。だから、キューバで食べられるものがなかった。中華料理屋があると聞いて、旧市街の中華街に行って麺類を注文したら、「ない」と言われ、チャーハンが代わりに出てきた。

米料理は大好きだから、すごい勢いでがっついた。すると…。 ががが。ぎぎぎ。あれ? いひー、いひー。ががが。ぎぎぎ。

歯が揺れている。差し歯が全部、揺れている。チャーハンをよく見ると、精米されていない米で、コメと石の量が一緒だった。

お米が割れると、中から石が出てくるみたいな。「セミ石チャーハン」だった。これ以上、歯が揺れないように、という不安感で、味わいどころでなかったな。飯が石って、何なんだあ?

タクシーの相乗りに怖い思い

iPadでキューバの写真を見る渡部ジョージさん ご自身のiPadでキューバの写真を紹介してくれました。  

その夜は有名なキャバレー、トロピカーナに行ったのだけど、帰りにタクシーに乗ったら、男が2人座っていて、「一緒でいいか?」と聞いてきた。

キューバのタクシーは相乗りだというのをそのとき知らなかったから、えらく怖い思いをした。あくる日も、タクシーで移動していたら、信号待ちのタイミングで、たくさんの人が勝手に乗ってきた。「すごい国に来ちゃったな」と思ったけれど、よく考えてみれば、相乗りは効率がいいし、すばらしいことではないかと思い直した。

教会の前を通ると、子連れで結婚式挙げている人もいて、また驚いた。「何なんだ?」と思ったり、むっとしたりすることも、少し考えたり、事情を調べたり、人に聞いたりして理由がわかると、腑に落ちるんだよね。

旧市街で、ヘミングウェイが通ったバーに行き、ヘミングウェイが座っていた一番端っこの席で、カクテルを飲んだりもした。ぶらりと入った、「アカデミーギャラリア」という、アートギャラリーで、「キューバ人の女性そのもの」が描かれた絵が気に入って、250ドルで購入した。

キューバの物価からしたら、破格の高値だよね。クレジットカード払いだった。包装は、新聞紙でくるくる巻いてくれたけれど、くたびれた紙だから、ホテルの部屋に帰るころには裂けてたよ。

その絵は、あとでわかったことだけど、ビクター・マニュエルという、キューバでは著名なアーティストの版画だった。ヨーロッパで彼の作品は、100万円、あるいは1千万円の値段がつくこともあるらしい。

だから、帰りの空港で「持ち出し証明」にすごく時間をとられたんだ。 街で古本を売っていた白人の女の子と、ちょっと仲良くなったのも思い出のひとつ。

10万人ぐらい読んだのではないかと思うような、おんぼろの本を売っていた。紙がない、ということが肌感覚でわからないから、「どうしてぼろぼろの本を売っているの?」と聞いてみた。

それがわかれば、キューバのことがもっとわかる気がしたから。そんなことを話しながら、その子とご飯に行くことになったのだけど、テーブルにろうそくが4本ぐらい灯っている、真っ暗なレストランだった。豆が出てきたから、俺は何も食べられなかった。

悪銭身につかず

残りの数日はお腹をすかして半分死にそうになりながら、風邪をひいて、ホテルで寝ていた。最終日にどうしてもその女の子にまた会いたくなり、人に聞いてまわったりして、彼女を探す旅が始まった。

一緒にご飯を食べにいったときは、つっけんどんに接してしまったのだけど、実はちょっと怖かったんだ。キューバの男女は情熱的で、知り合って2時間ぐらいでキスしたりするだろう。俺のなかで「危ない、気を付けろ」という感覚が強くなりすぎて、変にかたくなになりすぎていた。

だから、心残りとなり、彼女にもう一度会いたくなって、探し回ったんだろうね。 それで、帰国する前日になって、ホテルのロビーの隅っこに、俺の荷物がぽつんと置いてあった。

遺失物証明書と引き換えのはずなのに、その提出を求められることなく。そのときもタイミング悪く、エレベータが止まっていて、13階まで階段で持って上がったよ。

部屋で荷物を開けたら、5000ドルがそのまま入っていた。

俺はキューバに来る前、この国のことが全然わからなかったから、一応保険に入っていたんだ。そして今、手元には遺失物証明書が2通ある。

今まで、旅先でかばんが壊れたり、なくなったりしたけれど、保険屋さんは何もしてくれなかった。よし、今回はキメるぜ…。

ハバナの空港を出るとき、250ドルで購入した絵の持ち出し証明で時間がかかったものの、無事、経由地のメキシコ・シティに到着した。

さっそく保険屋に電話をかけると、スペイン語で「事務所が引っ越しした」とか言っている。

約款を、目を皿のようにして読んだら、「日本語のオペレータが24時間対応している」って書いているのに。しめしめ。

俺は日本に帰って、保険屋の対応のいい加減さを、電話で丁寧に指摘した。

「キューバに行きました、渡部と申します。そちらさまの保険証書4ページによりますと、24時間日本語でオペレータが対応するとあります。自分はスペイン語を理解して、御社の事務所移転についてわかりましたが、日本語しかわからない人がトラブルにあったら、どうするおつもりだったんですか?」

保険屋さんは状況を詫びつつ、俺が加入していたプランの上限150万円を支払ってくれた。

帰国してすぐ、俺は行ったよ。揺れる歯を治しにね。歯医者に、「歯が動くんですけど?」と訴えたんだ。すると、医者は「上の歯、ほぼすべてですね。治療代は220万円です」。

その金額…。俺がカナダのスクラッチカードで当たった80万円と保険で稼いだ150万円、足すとちょうど226万だった。 イージーカム、イージーゴー(悪銭身につかず)とは、まさにこのこと…。

何が何だか、まったくわけのわからない旅だった、、キューバすげぇーぜ!  

【ジョージ渡部さんプロフィール】

1948年生まれ。70年より大手の音楽プロダクションに18年間在籍。宣伝部に所属し、PRを担当。87年よりヒップランド・グループに在籍。97年、「SALSA HOTLINE JAPAN」を設立。プロフェッショナルとして、サルサPRのビジネスをスタートし、サルサを日本に定着させるために活動。14年より自称「引退閑老人」として、世界各地を徘徊中      

Author Profile

斉藤 真紀子
斉藤 真紀子
キューバ倶楽部編集長、ライター。ニューヨークでサルサのレッスンを受けたのをきっかけに、2000年に初めて訪れたキューバが心のふるさとに。
旅をするたびもっと知りたくなるキューバを訪れ、AERA、東洋経済オンライン、TRANSIT、ラティーナ、カモメの本棚、独立メディア塾ほか多数の媒体で記事を執筆。
2015年にキューバの現地の様子や魅力を伝える「キューバ倶楽部」をスタート、旅の情報交換や勉強会、講演会などのイベントも運営。
★キューバのエッセンスを生活に取り入れる日々をnote(https://note.com/makizoo)に綴る。
★Twitter: @cubaclub98 ★ Instagram: @cubaclub98
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2 thoughts on “【インタビュー】ジョージ渡部さんのキューバ珍道中

  1. キューバのブログを見ていたら出会えました(*^^)v。
    いろいろなキューバがあるんですね!
    娘がキューバに去年の秋から1年間バレエ留学しています。
    又娘と会えることがあればレポートしてください。

    • キューバも、ほんとうに訪れる人によっていろんな印象があるようですね。
      お嬢様、バレエ留学されているのですか!
      それは貴重な体験ですね。
      ぜひお話をお伺いしたいです。

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